2010年01月18日
ボレーの技術
今、僕のレッスンではボレーが中心。
本当に正しい技術を覚えていただこうと思ってます。
ただ、何が本当に正しいのか?っていうのは、様々な意見があるとは思うんですが、
僕の考えている理想は、
「遠い打点で楽に打てる」
です。
脚がしっかりと動いて、細かくフットワークが使えるのであれば、ボールの後ろに入って、打点を前のできるとは思うんですが、
しかし、実際には、ボールの後ろに入るのはかなり難しいです。
それは、ボレーをする多くの場合で、対戦相手との距離が近く、充分な時間をとることができないことが多いからです。
そこで、覚えていただきたいのが、グリップを薄く握ることです。
できれば、コンチネンタルグリップよりも薄く握っていただいたほうがいいと思います。
そうすると、近い打点では面がうまく作れないハズです。
しかし、逆に遠いボールに対しては、面が作りやすくなるはずです。
目いっぱい腕を伸ばした時に、しっかりとボレーの面を作ることができますか?
グリップが厚いと、それがとても困難になると思います。
本当の理想は、ボールによって、一球ずつ、グリップを変えることなんです。
そのためにも、まずは薄いグリップで、しかもスライスの利いたボレーを目指してください。
これは間違いなく、みなさんの武器になると思います。
つづきます。
本当に正しい技術を覚えていただこうと思ってます。
ただ、何が本当に正しいのか?っていうのは、様々な意見があるとは思うんですが、
僕の考えている理想は、
「遠い打点で楽に打てる」
です。
脚がしっかりと動いて、細かくフットワークが使えるのであれば、ボールの後ろに入って、打点を前のできるとは思うんですが、
しかし、実際には、ボールの後ろに入るのはかなり難しいです。
それは、ボレーをする多くの場合で、対戦相手との距離が近く、充分な時間をとることができないことが多いからです。
そこで、覚えていただきたいのが、グリップを薄く握ることです。
できれば、コンチネンタルグリップよりも薄く握っていただいたほうがいいと思います。
そうすると、近い打点では面がうまく作れないハズです。
しかし、逆に遠いボールに対しては、面が作りやすくなるはずです。
目いっぱい腕を伸ばした時に、しっかりとボレーの面を作ることができますか?
グリップが厚いと、それがとても困難になると思います。
本当の理想は、ボールによって、一球ずつ、グリップを変えることなんです。
そのためにも、まずは薄いグリップで、しかもスライスの利いたボレーを目指してください。
これは間違いなく、みなさんの武器になると思います。
つづきます。
2010年01月10日
かめはめ波ショット2
続きです。
ボールに「気」を込めて打つ。って意味は、気持ちを込めて打つって意味ともう一つの意味があるんです。
先に書いて置きますが、これは僕が勝手気ままに書き綴ってるだけですから、穴だらけなところもありますからね。
なんとなく、読み流してくださいね。
もう一つの意味は、「筋力で打つ」って感覚から離れたいんです。
筋力で打つイメージは、力みにつながるような気がするんです。
でも、僕にとって、「気」って力むと消えてしまうイメージ、流れの中に存在するイメージなので、それをイメージすることで、結果的に力まなくていいような気がするんです。
自信のあるショットや、調子の良い時のショットって力まずに打てるんですよね。
気持ちを入れてボールを打つんだけど、それによって力むのもダメ。力んでなくても、気持ちが入ってないボールもダメ。
両方ともがバランスよく備わったボールが理想だと思いません?
そんなことを考えてたら、なんか気功のイメージと合致するな~ってことを思ったので書いてみたんですが・・・
なんか、ワケわからなくなっちゃいましたね。
ごめんなさい。
ボールに「気」を込めて打つ。って意味は、気持ちを込めて打つって意味ともう一つの意味があるんです。
先に書いて置きますが、これは僕が勝手気ままに書き綴ってるだけですから、穴だらけなところもありますからね。
なんとなく、読み流してくださいね。
もう一つの意味は、「筋力で打つ」って感覚から離れたいんです。
筋力で打つイメージは、力みにつながるような気がするんです。
でも、僕にとって、「気」って力むと消えてしまうイメージ、流れの中に存在するイメージなので、それをイメージすることで、結果的に力まなくていいような気がするんです。
自信のあるショットや、調子の良い時のショットって力まずに打てるんですよね。
気持ちを入れてボールを打つんだけど、それによって力むのもダメ。力んでなくても、気持ちが入ってないボールもダメ。
両方ともがバランスよく備わったボールが理想だと思いません?
そんなことを考えてたら、なんか気功のイメージと合致するな~ってことを思ったので書いてみたんですが・・・
なんか、ワケわからなくなっちゃいましたね。
ごめんなさい。
2010年01月09日
かめはめ波ショット?
さてさて、今日も更新です。
昨日の続き?とは、違いますが、似たような話。
皆さんは、「気」って信じますか?
あの気功とかの「気」です。
別に人を吹っ飛ばすとか、かめはめ波を出すとか、そういうことではなのですが、でも、まぁ、その「気」です。
実際に、それが見えるわけはないので、存在を信じる信じないという問題になると、僕も信じてはいないんです。
でも、ボールに「気」が込められたショットと、なにも入っていないショットがあるような・・・
そんな感覚ってないですか?
昨日の話で言うと、自信を持って打たれたボールと、そうでないボールの違いのようなものです。
技術だけでボールを打つことを考えてしまうと、
そこにメンタルの要素がないので試合で使えないことが多いです。
試合で勝つためのショットは、技術とメンタルが合わさって打たれるべきだと思うんです。
そのためには、普段から自分のメンタルを感じながら打つ必要がありますよね。
でも、なかなかメンタルな部分と技術の部分とは、上手く合わさらないことが多いです。
で、その合わせるイメージとして、「気」なのかなと・・・。
メンタルを介して技術があると考えるのではなくて、
「メンタルをボールに込める」感じです。
なんだか、書いてて胡散臭くなってきましたけど、
まだ続きます。
昨日の続き?とは、違いますが、似たような話。
皆さんは、「気」って信じますか?
あの気功とかの「気」です。
別に人を吹っ飛ばすとか、かめはめ波を出すとか、そういうことではなのですが、でも、まぁ、その「気」です。
実際に、それが見えるわけはないので、存在を信じる信じないという問題になると、僕も信じてはいないんです。
でも、ボールに「気」が込められたショットと、なにも入っていないショットがあるような・・・
そんな感覚ってないですか?
昨日の話で言うと、自信を持って打たれたボールと、そうでないボールの違いのようなものです。
技術だけでボールを打つことを考えてしまうと、
そこにメンタルの要素がないので試合で使えないことが多いです。
試合で勝つためのショットは、技術とメンタルが合わさって打たれるべきだと思うんです。
そのためには、普段から自分のメンタルを感じながら打つ必要がありますよね。
でも、なかなかメンタルな部分と技術の部分とは、上手く合わさらないことが多いです。
で、その合わせるイメージとして、「気」なのかなと・・・。
メンタルを介して技術があると考えるのではなくて、
「メンタルをボールに込める」感じです。
なんだか、書いてて胡散臭くなってきましたけど、
まだ続きます。
2010年01月08日
テニスで自分を表現する
どうも。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
新年もあけまして、もう早くも一週間が過ぎてしまいましたね。
さて、このブログ。
せっかくあるんで、僕のテニスの話を引き続き綴っていこうかと思ってますので、よろしくお願いしますね。
今回はですね、今年の試合に向けてのことを書いてみようと思います。
以前、松岡修造が、「テニスで自分を表現しなくては強くなれない」というようなことを言ってました。
最近、ようやく、その意味が分かった気がするんですよね。
「これが俺だ!このテニスが俺のテニスだ!!」
って自信を持ってる選手って、最後の最後の場面まで強い気がするんですよね。
でも、その自信が揺るいでしまうと、急に崩れてしまったり・・・
結局、自信があるってことは、そういうことだと思うんです。
自分のテニスを知ってるというか、テニスを介して自分を表現しようとしていけば、おのずと自信がついていくんだと思うんですよね。
だから今年は、例え負けたとしても、勝ったとしても、自分を表現する。
そこを意識してテニスをしていこうと思ってます。
では、今年も一年、よろしくお願いします。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
新年もあけまして、もう早くも一週間が過ぎてしまいましたね。
さて、このブログ。
せっかくあるんで、僕のテニスの話を引き続き綴っていこうかと思ってますので、よろしくお願いしますね。
今回はですね、今年の試合に向けてのことを書いてみようと思います。
以前、松岡修造が、「テニスで自分を表現しなくては強くなれない」というようなことを言ってました。
最近、ようやく、その意味が分かった気がするんですよね。
「これが俺だ!このテニスが俺のテニスだ!!」
って自信を持ってる選手って、最後の最後の場面まで強い気がするんですよね。
でも、その自信が揺るいでしまうと、急に崩れてしまったり・・・
結局、自信があるってことは、そういうことだと思うんです。
自分のテニスを知ってるというか、テニスを介して自分を表現しようとしていけば、おのずと自信がついていくんだと思うんですよね。
だから今年は、例え負けたとしても、勝ったとしても、自分を表現する。
そこを意識してテニスをしていこうと思ってます。
では、今年も一年、よろしくお願いします。