2008年01月18日
本当の試合ってなんだろ!?
本当の試合ってなんだろう。
って、思ってしまったので、たらたら綴ってみます。
試合とは、元来「試し合い」のことであって、本番ではないことを意味します。
では、本番とは何かと言えば、昔の日本なら命のやりとりです。
斬った、斬られたの時代のお話になってしまうんです。
それは、英語でも同じです。試合のことは、a match a game などで表され、
決して、a duel のような「決闘」とは一線を画しているんですよね。
もしも、お互いの命を賭けてテニスをしたならば、それは試合ではなく決闘といえるんです。
それがスポーツの位置づけってものなんです。
それは、失うものが無いことが大前提なんです。
試合で負けたからといって、かけがえの無いモノを失うようなことがあってはならないというのが、
スポーツ倫理というものです。
つまり、スポーツである以上、
試合で商品、賞金のように得るものはあっても、失うものはあってはならないんですよ。
でもね、勘の良い方なら、もう気づいているかもしれませんけど、
試合に負けると結構、いろんなモノを失います。
まずは、時間。
もしも、インターハイに行くことが目標で、最後のインターハイ予選で負けてしまったら、
今まで、そのために練習してきたことが無になるんじゃないかと感じてしまう。
実際は、そのための努力や、頑張りは無駄にはならないんですけれど、
ある種の喪失感を感じずにいられないんですよね。
トッププロになると、負けてばかりいると、スポンサーとの契約を切られてしまったりなんかもあります。
シードダウンだって怖いでしょうし、なにより、ランクが下がるのは怖いでしょう。
観客が多い試合で、無様に負けてしまったら、恥ずかしいと感じるかもしれない。
それは、すなわち名誉を失うに等しいわけで・・・
結局、何かを失うわけですから、かぎりなく本番に近い気がします。
だから、こういった失うものがあると感じる状態での試合こそが、本当の試合であって、
失うものが何もない状態での試合なんて、どんなに大きな大会であっても、
本当の試合とはいえないじゃないかと思うわけですよ。
って、思ってしまったので、たらたら綴ってみます。
試合とは、元来「試し合い」のことであって、本番ではないことを意味します。
では、本番とは何かと言えば、昔の日本なら命のやりとりです。
斬った、斬られたの時代のお話になってしまうんです。
それは、英語でも同じです。試合のことは、a match a game などで表され、
決して、a duel のような「決闘」とは一線を画しているんですよね。
もしも、お互いの命を賭けてテニスをしたならば、それは試合ではなく決闘といえるんです。
それがスポーツの位置づけってものなんです。
それは、失うものが無いことが大前提なんです。
試合で負けたからといって、かけがえの無いモノを失うようなことがあってはならないというのが、
スポーツ倫理というものです。
つまり、スポーツである以上、
試合で商品、賞金のように得るものはあっても、失うものはあってはならないんですよ。
でもね、勘の良い方なら、もう気づいているかもしれませんけど、
試合に負けると結構、いろんなモノを失います。
まずは、時間。
もしも、インターハイに行くことが目標で、最後のインターハイ予選で負けてしまったら、
今まで、そのために練習してきたことが無になるんじゃないかと感じてしまう。
実際は、そのための努力や、頑張りは無駄にはならないんですけれど、
ある種の喪失感を感じずにいられないんですよね。
トッププロになると、負けてばかりいると、スポンサーとの契約を切られてしまったりなんかもあります。
シードダウンだって怖いでしょうし、なにより、ランクが下がるのは怖いでしょう。
観客が多い試合で、無様に負けてしまったら、恥ずかしいと感じるかもしれない。
それは、すなわち名誉を失うに等しいわけで・・・
結局、何かを失うわけですから、かぎりなく本番に近い気がします。
だから、こういった失うものがあると感じる状態での試合こそが、本当の試合であって、
失うものが何もない状態での試合なんて、どんなに大きな大会であっても、
本当の試合とはいえないじゃないかと思うわけですよ。